ドクター・スタッフ

院長のご紹介

村瀬慶次院長

歯科医師 村瀬慶次むらせ歯科医院 院長

院長経歴

1982年
鶴見大学歯学部卒業
東京医科歯科大学歯科保存学教室入局
1988年
村瀬歯科医院開設
2003年
むらせ歯科医院としてリニューアル

所属

  • 相模原歯科医師会会員
  • 日本歯科医師会会員
  • 相模原デンティストクラブ会員

受付、助手


金田

受付、滅菌

高橋
高橋


スタッフの自己紹介

【むらせ歯科で働いて】

受付、助手 金田

私は5~6年前からむらせ歯科に患者としてお世話になっていて、偶然今回タイミング良く今回お仕事をさせて頂くことになりました。覚えることはとても多く、今は勉強の日々です。歯医者は、″怖くて″ ″痛い″と言うイメージがあると思いますが、むらせ歯科は地域で30年、多くの患者さんに信頼されてきています。私も少しでも不安をなくせるよう患者さんに寄り添い、「むらせ歯科に来てよかった!」と思ってもらえるようサポートしていきたいと思います。
よろしくお願いします。

令和3年11月

受付、滅菌 高橋

最初はお掃除や片付けからはじめ、今は器具の滅菌や患者さんが手を触れるドアノブの消毒、電話応対などもしています。
働きはじめた頃は分からないことも多くありましたが一年がたち、やるべき事がわかってきたように思うので、これからも丁寧な対応に心がけていきたいと思います。

令和2年11月

技工士

窪川さん
■窪川さん
むらせ歯科開業以来ずっとCr―Br インレーを作ってもらっています。
1年に1回も作り直しが無い超ベテランです。

天野さん
■天野さん
むらせ歯科開業以来、本人の親の代から2代続けて義歯を作ってもらっています。
彼も毎回きれいに完成させてくれます。

メタルボンド

IDC 斎藤さん、南波さん
■IDC 斎藤さん、南波さん
約20年メタルボンドを作ってもらっています。

税務担当

東京会計 長谷川さん
■東京会計 長谷川さん

【ご本人コメント】
毎月ご訪問させていただく際に、先生とスタッフの方とのミーティングに参加させていただいております。
むらせ歯科医院さんは、村瀬先生とスタッフの方の信頼関係が厚く、診療での連携はもちろんのこと、診療外においてもお食事会などをされており、アットホームな雰囲気です。
診療所も村瀬先生の自己所有ビルのワンフロアで、先生のこだわりが行き届いた先進的なものとなっております。
私はコンサルティング会社所属の税理士でコンサルティングをする側なのですが、何時も自分が勉強させてもらっています。

コーチングオフィス

松尾さん
■松尾さん
【ご本人コメント】
私はコーチです。 日本人的には馴染みがあると言い難いですが、経営者や組織のリーダーに対して利害がない立場から、2007年頃から月1回お伺いし、先生が目指す理想の診療所づくりのお手伝いをしております。
むらせ先生の実行力にはいつも驚かされています。クリニックにおける課題もスタッフ任せにはしません。ご自身で一つ一つ解決策を考え丁寧に実行し、成果を積み上げていらっしゃいます。とても頼もしい先生です。
患者さんにとって最善の診療所であり、スタッフにとって居心地のよい職場環境であるよう真剣に考え努力されていらっしゃいます。
これからもむらせ歯科を応援しています。



院長の自己紹介

鶴見大学歯学部在学中は口腔病理学の秋吉正豊教授に影響を受け、3年から卒業まで約4年間、英語とドイツ語の輪読会に参加し、古い文献を学ぶ事で医学的な基本を教わる。同時に臨床的なテクニックは当時自費診療のみで開業し、技工も自分でやっていた大津晴弘先生に学んだ。
大学卒業と同時に東京医科歯科大学歯科保存学教室に入局する事となり、広範囲な臨床に触れると同時に大学病院での臨床の限界も感じるようになる。
その後沖縄県那覇市の診療室で働いたことで、歯科医にとってやり易い診療ではなく、患者さんが受けたい診療をして行く方針を確立する。

平成元年に相模原市相武台で開院し、現在に至る。

この数年は岡山大学の山下敦先生のグループで顎関節症の研究と、体に優しく最小限の侵襲で出来るエンドポアインプラントに取り組んでいる。

平成16年から相模経済新聞にて歯の「健康Q&A」担当。

鹿島台小学校 学校医。

院長の診療方針

院長の生い立ちと今のむらせ歯科医院

私の両親、村瀬永一(亡)、惇子は岐阜の出身です。父親の生家は事業家で、建築関係の事業をしていて父親の祖父の頃には50人ぐらいの職人が住み込みで働いていたようです。また、母親の生家は、今無くなりましたが、江戸時代からの医院で、親戚には100年を越えて続く医院もあり、私か兄のどちらかを医師にしたい気持ちが母親にあったようです。しかし兄は全く適性が無く、私も入院患者さんがいる母親生家の個人医院の日常を見ると事実上365日、24時間休み無しの状態でしたので医師になって開業するのはあまりにも大変過ぎると尻込みしていました。

少年時代

少年時代の写真。私はどれでしょう?

しかし一方、子供時代から私は手先が器用と言われて工作は得意でした。小学生でプラモデルを作ることに熱中して、渋谷にあった児童会館に入り浸って高学年ではだんだんとスケールアップしてラジコンの模型の船、飛行機と大人に混じって熱中していましたので、そんな姿を見た親は私には器用さが要求される歯医者が向いていると思ったようでした。父親は、真面目な人で、東京に出てきて国立大学の法学部4年のカリキュラムを2年で卒業した努力人間でした。亡父の実家では父親は有名人であったようで、父親が帰省すると大学の学生証を見せて欲しいと、近所の人々が集まって来たと聞いています。社会人になってから働きながら税理士資格を取っていましたが、自分で事業を起こすことはありませんでしたがその欲はあったように思っています。そんなバックグラウンドがあったせいか、私も中学1年生の時に自分は歯医者になると既に信じていましたし、今のように歯科医として働いている様子を未来像として受け入れていました。

中学生、高校生になり、好きな音楽をやって行きたいとかも有りましたが、結局歯科医になることに落ち着き、自宅からすぐ近かった鶴見大の歯学部に入ることになりました。当時は歯科医院が患者さんで溢れかえり、歯学部が大変な人気の学科で10倍以上の倍率だった覚えがあります。大学3年から病理学の教授で、Periodontal disease を歯周病と訳した歯周病学会の重鎮であった秋吉正豊の教室で、毎週朝2回病理文献の輪読に参加する機会を持ち、卒業するまで約4年ほぼ毎週、英語とドイツ語で続きました。

秋吉教授は東京医科歯科大学の前身の歯学部を卒業して歯学部病理学教室の助教授でしたが、新設された医科歯科大学医学部の教授になられ、名誉教授、退官、鶴見大学歯学部教授赴任の経歴でした。

当然歯科のみならず、全身の病理学に精通していて、あらゆる病変に対しての深くて幅広い膨大な知識にはまるで山のような存在に感じました。

教授室は大変な数の蔵書に囲まれていて毎年5000冊は世界中で文献が出るから、英語やドイツ語は当たり前、スペイン語、フランス語、イタリヤ、ポルトガル、ロシア語と原書を読まれてもいたので、研究の世界最先端を進む背中には、ほとほと驚きました。教授から教わった病理学的な見方は、その後現在に至るまで私の歯科医療の基本的な部分を作っている財産です。また、人間として出来る努力の限界の高さを思い知らされました。秋吉教授は今においても私の心の中に恩師として生きていらっしゃいます。また同時に卒業する頃になると銀座、広尾で自費のみで診療していた大津晴彦に出会って、歯科の臨床の世界の幅広い可能性を感じるようになって行きました。こうした方々との出会いで感じたのは歯科についての深い知識や経験のみならず、幅広い人生経験、教養、人としての思いやり、マナーの素晴らしさ、意志の強さでした。全てが必要に感じましたが、これから長く歯科医をする以上、まず基本になる歯科の保存診療を極めて行きたい気持ちに突き動かされるようになって行きました。結局鶴見大学卒業後は長年世界の保存診療、修復学を牽引していた東京医科歯科大学、総山孝雄教授の第1保存学教室、歯内療法の砂田今男の第3保存学教室で臨床を学ぶことになりました。学生時代に、教授の書かれた書籍から内容に感服していたことが影響していました。結局その後を含めて医科歯科大学保存学教室には10年近くお世話になりました。一つ一つのほんの小さなことにもそのエビデンスを大切にして、あらゆる角度から検証して基本に忠実であることは大きな学びでしたが、大学での臨床では、半年順番待ちしていた患者さんを自分の診療領域だけ診療して、他科に紹介するシステムでしたので、その中で精一杯なことをしても、結局1人の患者さんを最後まで責任もって診療しないことに、これで良いのであろうか、これで患者さんを幸せに出来たのであろうか、と疑問を感じるようになって行き、だんだんと自分で開業する道を探すようになって行きました。

その後は銀座で自費中心の歯科医院での勤務や、沖縄の自然豊かな地域での本当の意味での地域医療を学ぶことになって行きました。

自分に適した開業の場所を探し始めた時は昭和の終わり、今では昔の話になりましたが、バブルの時代でした。都心での開業では将来的に自分で土地建物を持つことは永遠に出来そうにもなく、それでいてあまりにも元々生まれ育った都心から離れることにも抵抗があったので、都内からそれほど遠くなく、それでいてこれからの発展を感じることが出来る町田市、相模原市を考え、現在の相武台前に落ち着き平成元年に開業になりました。

以来年々歯科医院は充実してゆき、現在は歯科医院として自己所有の100坪の土地建物で診療する事が出来るようになり、診療設備として定評のあるドイツカボ社製の歯科ユニット、パノラマ、CTを揃えることが出来ており、駐車場も6台、スタッフも4大卒か、歯科衛生士で優秀な人材にサポートしてもらう事が出来ています。

歯科の診療は保存、補綴、外科、咬合、審美、定期検診から成り立っています。具体的には虫歯の治療、歯周病の治療、神経の治療、型どりしてセットする、ブリッジ、義歯、親知らずの抜歯、インプラント、膿瘍、腫瘤の外科的処置、全体のバランスの良いかみ合わせ、本人の自己肯定感を増やす審美的診療に区分けされます。最終的にはそれらの長期的な安定を目標に、定期チェック、メインテナンスとなります。

別の視点で見ると、

  1. 期間が長いか、短いか、
  2. 費用が多くかかるのか、安くできるのか、
  3. 我慢を強いられるのか、快適に診療を受けることが出来るのか、
  4. 診療の内容に疑問や不満が残るのか、完全に任せて大丈夫な信頼関係があるのか、
  5. 自分の歯を沢山削られてしまうのか、最小限必要なところだけを削るのか、
  6. 結局自分の歯を失うのか、長く自分の歯を自分の体の一部として残して使えるのか、
  7. 歯科医をはじめ医療関係者が自分の体を作業として扱うのか、自分に寄り添い、自分自身の体を扱うように大切に扱ってくれるのか、

以上1~7の視点が有ります。

もちろん1~7はその全てが後の方が良いわけです。

診療は大きなメリットがある反面、出来るだけ最小限のアプローチである必要が有ります。人の作る最高の物でも、指一本作ることは出来ないのですから常に診療は謙虚でひかえ目であるべき、必要かつ十分で有るべきであると考えています。

あらゆる症例内容において、診療しないことを含めて、現在のむらせ歯科医院は最善の診療を提供出来る準備が出来ていると自負しています。

どうぞ何かあれば、ご相談、来院頂きたいと思っていますのでよろしくお願いします。

2016年12月6日
むらせ歯科医院 村瀬慶次

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